作:マリエ(@plankton0304


電話越しに“ごめんなさい”とただひたすら謝る彼女に、俺は最後まで物分かりのいい彼氏を演じきって電話を切った。

終話ボタンを押したと同時に口から飛び出した大きなため息を、会話の終始ずっと我慢していた自分を誉めてあげたい。
グループ会社総出の納会に出る筈だった会社の先輩がインフルエンザにかかってしまったらしく、その代打で急遽明日から一泊で出張に行くことになってしまったという電話が彼女からかかってきたのは、23日の夜のことだった。


俺は仕事をがんばっている彼女のことが好きだ。
目を離すとすぐにがんばり過ぎてしまうところがあるから少し心配になるけれど、学生時代から何にでも一所懸命に取り組む彼女のことを俺は好きになったんだ。

だから、俺と仕事のどっちが大事なのか、なんて女々しいことを聞くつもりはないし、仕事をがんばっている彼女のことを応援したいと思う。

だけど、こうして仕事を理由にデートをキャンセルされる度に思うんだ。
どうして俺は彼女より1年遅く生まれてきてしまったんだろうって。
たかが1歳とはいえ、学生と社会人というこの差は、俺が思っていた以上に俺たちを隔てる大きな壁になっていた。

来年の春には自分も社会人になるけれど、だからこそ今はこの大きな壁が余計に恨めしい。 大学の先輩と後輩という関係から彼氏と彼女という関係に変わってから初めて迎えるクリスマス。

今年のクリスマスは平日だからと、家でクリスマスパーティーをしようと言い出したのは彼女の方で。
ケーキとチキンはデパ地下で予約して、当日はちょっと高めのスパークリングワインを買って二人きりで過ごそうね、そう言いながらうれしそうにはにかんだ彼女の笑顔を思い出しながら、俺はもう何回目になるかわからないため息を吐き出して腰掛けていたベッドから立ち上がった。
“25日の夜には帰るから、その足でアパートに行ってもいい?” 不安げにそう言う彼女に、次の日も仕事なんだから無理して来なくていいよ、なんて冷たく突き放してしまったことを今になって後悔してる自分がいる。
仕事だから仕方ないと頭ではちゃんとわかっているつもりなのに、どうやら俺は相当のショックを受けているらしい。
クリスマスに渡そうとこっそり用意した彼女へのプレゼントが入った小さな紙袋に視線を遣りながら、俺はもう一度深いため息を吐き出した。

***
――翌日。

午後から大学の研究室に顔を出した俺は、独り身同士でこれから飲みに行くという野郎たちと別れてひとり駅前のデパートへ足を向けていた。
予約してしまった以上、ケーキもチキンも受け取らない訳にはいかないし、かといってひとりで食べる気にもならないから、これらは帰ったら速攻で冷蔵庫の中に閉まっておこうと思う。

キラキラ光るイルミネーションがやけに眩しく感じるのは、この風景を一緒に見るはずだった彼女が隣にいないからなのだろうか。 案の定、街はカップルで溢れかえっていて、腕を組みながら幸せそうに寄り添って歩く彼等とすれ違う度に俺は自然と彼女のことを考えてしまう。

彼女は今ごろ何をしているんだろうか。

納会の後は忘年会があると言っていたからきっと盛り上がっているんだろうな。

あまりお酒が強い方ではないけれど、入社一年目の彼女は先輩や上司から酌をされれば飲まざるを得ない筈だ。

もしも酔っぱらって少し無防備になったところを、別の男性社員に言い寄られでもしたら……。
いや、大丈夫。彼女に限ってそんなことはない筈だ。
そう自分に言い聞かせながら、俺の足は無意識のうちに早歩きになっていた。

そうしてたどり着いた一人暮らしの自室はやっぱり真っ暗で、彼女がここに来るはずがないとわかっているのに、少しでも期待をしていた自分が嫌になった。
たかがクリスマス。されどクリスマス。
まさか自分がこんなイベントひとつに一喜一憂することになるなんて想像すらしなかった。

今でもお世話になっている大学の先輩にこんな情けない姿を見られたら、それこそ腹を抱えて盛大に笑い飛ばされることだろう。
その刹那、リビングのテーブルに放り投げてあったスマホが震え、俺は逸る気持ちを抑えながらロック画面を解除した……のだけれど。

『よお!なんだお前、今日はデートじゃねえのかよ?』

「……そう思うんだったら電話なんて掛けて来ないでください。」

『なんだなんだ、もしかしてあいつともう別れたのか?』

「別れてませんし、行きません。」

『あ、おい!ちょっと待てって!』

電話を掛けてきたのは、俺が彼女と付き合うきっかけを与えてくれたサークルの先輩で、普段に輪をかけてテンションが高いのは彼が酔っぱらっている証拠だ。
暇ならこれから出て来いよ、そう言われる前に一方的に終話ボタンを押した俺の無礼極まりない行動も、先輩ならきっと許してくれると思う。
「……もうこんな時間か……」 それからひとりでぼんやりとテレビのクリスマス特番を見ながらダラダラと過ごしていれば、時計の針はそろそろ0時に差し掛かろうとしていた。
先週末に彼女が作り置きしておいてくれた豚汁とビールだけで夕飯を済ませた俺は、シャワーを浴びる前に一本だけ煙草を吸おうとベランダへ出る。
彼女とつき合いはじめてからは滅多に吸わなくなったけれど、それでもこんな風にむしゃくしゃした時に無性に吸いたくなってしまう。
寒さに身体を縮こませながら、ベランダの手すりに体重を預けて空へと上がっていく煙をぼんやりと見つめていれば、ジーンズのポケットにねじ込んであったスマホがぶるりと震え、今度は別の先輩からのSOSかもしれないと、俺はため息交じりに煙草を消してロック画面を解除した。

そのまま片手で画面をスクロールさせた瞬間、電話越しに聞こえてきたのは―― 「もしもし?」 「……えっ……?」 「よかった、まだ起きててくれて。」 そう言いながら安心したように息を吐く彼女はいま外に出ているのだろうか、受話器の向こうから微かにハイヒールがアスファルトを鳴らす音がする。

「忘年会は終わったんですか?」

「ううん、みんなはまだ盛り上がってるよ。今日は泊まりだから朝までやるつもりなんじゃないかな。」

「……そうなんですか。っていうか、新入社員が抜け出したりして大丈夫なんですか?」

「……うーん、それはわからないけど、どうしても声が聞きたくなっちゃったんだもん。」

「……」

この状況でそんなことを言うのは反則だと思う。

これが電話越しの会話でよかった。
でなきゃこんな緩みきった顔、恥ずかしくて見せられない。
見上げた空には煌々と輝くオリオン座。彼女もこの星を見上げているのだろうか。
ふと会話が途切れれば、それまで電話の向こうからずっと聞こえていたハイヒールの音はいつの間にか止み、代わりに階段を上っているような甲高い金属音が聞こえてくる。
今どこにいるのか、俺がそう口を開きかけた瞬間、部屋の中に鳴り響いたインターホン。
その音は確かに右耳から聞こえた筈なのに、受話器を押し当てている左耳からも聞こえたような気がするのはきっと気の所為だろう。
そんなことあるわけない。
だって彼女は朝から大阪にいて、帰京するのは明日の夜だと……

「……恋人になって初めてのクリスマスをどうしても一緒に過ごしたかったから……最終の新幹線で帰って来ちゃった。」

「……っ!」

「でもね、明日の朝一の新幹線でまた戻らないといけなくて……」

信じられない思いでベランダから玄関へ走り、少し震える手でゆっくりとドアを開けた俺の視界に飛び込んできたのは、寒さからか鼻の頭を真っ赤にした彼女の姿。
もしかしたら夢でも見ているのだろうかと半ば半信半疑で手を伸ばせば、そこにあったのは確かな彼女のぬくもりだった。

「言ってくれれば駅まで迎えに行ったのに…こんな時間にひとりでふらふら歩いてたら危ないじゃないですか!」

「だって驚かせたかったんだもん……」

「そもそも、俺が家にいなかったらどうするつもりだったんですか?」

「あ……それは考えてなかったけど、その時はその時だよ!」

堪らずに冷え切ったその身体をぎゅっときつく抱きしめれば、ふわりと香る甘い匂いと彼女のぬくもりに、凍えていた心がゆっくりと溶かされていく。

しっかりしているようで少しだけ抜けている、そんな彼女だから俺は目を離すことが出来ないんだ。

「あ、もう日付変わったよね。メリークリスマス!……って言っても、家に戻る余裕がなかったから、クリスマスプレゼント置いてきちゃったんだ。だから手ぶらなんだけど……ごめんね?」

「プレゼントならもう貰いましたから。他にはもう何にも要りません。」

「え……?」

不思議そうに首を傾げる彼女の冷たい唇にキスを落とせば、それは確かに煙草の味がした筈なのに、それすら甘く感じてしまう俺は彼女に相当惚れてしまっているんだろう。

だけど、それで構わない。俺には彼女以外に欲しいものなんて何もないから。

「今夜は多分、寝かせてあげられそうにないから……睡眠は新幹線の中でとってくださいね?」

「……!」

「最高のプレゼントをありがとう。……メリークリスマス。」

耳元でそう囁いた瞬間、俺の腕の中で耳まで真っ赤になった彼女が本当に愛おしい。

俺はにやけそうになる口元を必死に隠しながら、何よりも欲しかったクリスマスプレゼントを寝室に運ぶべくそっと抱き上げたのだった。

Please spend a wonderful Christmas!

 

おわり