作:虚空花(@morino_hana

声を聞かせて 第1話

声を聞かせて 第2話

声を聞かせて 第3話

声を聞かせて 第4話

声を聞かせて 第5話

声を聞かせて 第6話

声を聞かせて 第7話

声を聞かせて 第8話

「それにしても、どうして黎斗がここにいるの?」
 黎斗から降りた私は、なんだか照れくさい気持ちで彼の隣を歩く。
 キスされたことは思い出さないようにしてるけど、あんな強烈な出来事をそう簡単に忘れられるはずもなかった。

「筑紫先輩に呼び出された。先輩は俺のケーバン知ってるし……前の研究室では、筑紫先輩しか友達いなかったから」
「あんたとナオさんが話してるとこ、ちょっと想像つかないんだけど……」
「筑紫先輩は、ちょっと亜紀に似てるから話しやすかった」
「私とナオさんが? 似てる? ……そうかな」
「うん、似てる。不器用なとことか」
「あんたに言われたかないわよ」
「でも――」

 ふいに、歩みを止めた黎斗に、私は肩を抱き寄せられる。
 顔から火が出そうになったけど、キスされた時よりもずっと心地良かった。

「筑紫先輩に亜紀を取られなくて良かった」
「だ、だからって、あんたにOKしたわけでもないんだけど」
「でも、俺の名前呼んでくれた」
「は?」
「亜紀が映画館で怖い怖い言いながら、ずっと俺の名前呼んでくれた」

 ナオさんが静かに去っていった理由がわかった。
 黎斗いわく、私は映画館で突然パニックを起こしたあげく、黎斗の名前を連呼していたらしい。
 それで仕方なくナオさんは黎斗を呼んだという。
 手ひどい振り方をしてしまった。
 私が黎斗に対してそんな風に依存してるなんて、思ってもみなかった。
 恥ずかしいけど……そういうことなのか。
 
 私に呼び出されたことが嬉しかったらしく、黎斗の横顔は妙に穏やかだった。
 いきなり熱烈な告白をしてきたかと思えば、今度はいつも通りって……。
 ほっとした反面、物足りない気もする。だけど、そういった感情を認めたくない私は、いつも通りを装う。
 なんとなくモヤモヤを抱えたまま歩くうち、気づけば自宅に辿りついていた。
 
「亜紀、また明日」
「え? 寄ってかないの?」
 夜ご飯食べていきな、と言うと、黎斗は大きなため息をついて、「いい」と首を振る。
「……そう。じゃ、またね」

 何か言いたげな顔をしてるけど、何も言わずに去ろうとする黎斗を、ひきとめる理由もなくて。
 釈然としないまま黎斗の猫背気味の背中を見送っていたら――むしょうに悲しい気持ちになって、息をのむ。

 私は黎斗の背中を見送るのが嫌いだった。
 いつもひとの後ろをついて歩くクセに、最後にはいなくなるから。
 帰り道に分かれるのは、仕方のないことなんだけど。
 それでも私は、黎斗のいない自分ちが嫌いで――なんだか怖かった。

 どうしても怖い時は理由をつけて黎斗に電話をする。
 黎斗の声を聞けば、すごく安心できたから。
 これが好きってことなら、私はずっと昔から黎斗のことを好きだったのだろうか。
 そんな風に当たり前の好きが、黎斗の好きとどう違うのかわからないけど。
 でもやっぱり、私が一番欲しいのはあいつと、あいつの言葉なんだと改めて思ってしまった。
 
「寒いよ……黎斗……」
 今日はすごく冷え込む日だった。
 でもそれ以上に寒くて、目からぽろぽろと何かがこぼれ落ちる。
 しかもなんてカンの良いやつだろう。黎斗は私の異変にソッコー気づいては、駆け寄ってくる。
 私はこんな風に弱っている姿を、本当は黎斗に見せたくないのに。
 情けないったらありゃしない。

「亜紀、どうした?」
「……なんでもないわよ。さっさと帰りなさいよ」
 自分でもどうかと思うくらい逆ギレして、黎斗のジーンズの足をブーツで蹴ってやる。
 黎斗は「いてっ」と言いながらも、心配そうに見おろしてくる。

「あんたはいつも……なんでそんなに言葉が足りないのよ……」
「亜紀、どうしたの?」
「ちょっと寒気がしただけ――」
 どう言い繕っても、無駄だった。
 私が黎斗の背中を見て、行かないで欲しいと思った時点で、きっと負けなのだ。

 ――そうか、私は黎斗が好きなんだ。

 体が大きくなっても小さい頃から変わらない黎斗は、困った顔で見おろすばかりだった。
 それでも私は、多弁で楽しいナオさんよりも、気の利かない黎斗のほうが好きだというんだから――もう、どうしようもない。

「亜紀……1人が心細いなら、一緒にいる」
 ようやく言うべきことを見つけて、黎斗が言った。
 こういうことが言えるようになっただけでも、昔とは違うのかもしれない。
 黎斗の言葉を私が待つように、もしかしたら黎斗も私の言葉を待っているのだろうか。
 だったら私も、歩み寄るしかない。

「……あとで電話をくれたらそれでいい」
「電話?」
「声を聞かせて欲しいの。怖くても、あんたの声を聞けば……安心するから」
 頬が熱い。
 恥ずかしい本音を吐露すると、表情に乏しい黎斗は、誰が見ても嬉しそうな顔をして、私を抱きしめる。

「やっぱり夜飯食べて帰る」
「あんた……心臓の悪い母さんの前で何かしたら許さないからね」
「お母さんの前じゃなければいい?」
「やっぱり来なくていいわ! ハウス!」
「亜紀、大好きだ」
「ちょ、ちょっと――」
 噛みつく勢いで顔を寄せてきたので、私は黎斗の口元を掌で隠す。

「順番が間違ってるのよ、あんたは。私にも言わせて」
 自分の気持ちを確信したのがついさっきだから、心の準備なんてものはなかったけど、正直もうバレバレだと思うから――。

「わ……私も、黎斗が好き――」

 言った直後、まだ言いたいことはあったにもかかわらず、口を口で塞がれた。
 やっぱり、言うべき時を間違えた? ――と思っても、もう遅い。
 黎斗は匂いをかぐように、私の肩に顔を埋める。

 ――こいつは犬なのか?
 私が恥かしくて泣きそうになっているのもかかわらず、撫でられて抱きすくめられて噛みつかれて。
 帰ったら声を聞かせて欲しいなんて、もう思わなくなっていた。