作:虚空花(@morino_hana

 

声を聞かせて 第1話


声を聞かせて 第2話


声を聞かせて 第3話


声を聞かせて 第4話


 

 ナオさんとわかれた時には、夜の九時半をまわっていた。
 
 夜空を見上げると、コンパスで引いたみたいに綺麗な満月が浮かんでいる。
 いつもと同じ帰り道なのに、時間帯が違うだけで少しだけ気分が高揚した。

 こんなに遅くまで外にいたのは、どれだけぶりだろう。 

 ナオさんとはパンケーキを食べながら、他愛のない話をした。
 どこのコンビニデザートが美味しいとか、好きなテニスプレイヤーの話だとか。

 無口な黎斗だと、ほとんど返事なんてしないけど、ナオさんはきちんと返してくれて――嬉しくてつい、長々と話してしまった。
 しかも母から「遅くなる」という連絡があって、結局、夜ご飯まで一緒に食べて。

 ――黎斗には連絡していない。

「ナオさんは会わない方がいいとか言ってたけど……黎斗の様子、ちょっと見て行こうかな」

 私は自宅に向けていた足ですぐには帰らず、少し先の黎斗のマンションにまで足を延ばす。

 両親が共働きの黎斗は、小さい頃から一人でマンションにいることが多くて、うちで一緒にご飯を食べることが多かった。
 その習慣は大きくなってからも変わらず、夜ご飯はいつも黎斗と食べている。

 ――さすがに今日は、自分の家にいるかな。

 高級マンションのエントランスで、私はちょこっと緊張しながらもインターホンのボタンを押した。
 けど、黎斗はいつまで経っても出てこなくて――肩透かしを食らった私は、踵を返す。

「もう寝てるとか……?」
 
 なんとなく、がっかりしたような、ほっとしたような気持ちで自宅に帰ってみれば――2階にあるうちの窓から明かりが漏れていることに気づく。
 古くてギシギシ言う階段を慌てて駆け上がり、自分ちのドアを開けると、黎斗が「遅い」と出迎えた。

「……あんた……」
「亜紀、遅すぎ。今までどこにいた?」
「黎斗……ずっとうちにいたの?」
「ご飯待ってた」

 玄関でポカンとする私に、黎斗は「寒いし、部屋に入れば」と言い放ち、背を向けた。
 ちょっと困惑しつつも、黎斗の背中を見ながら靴を脱ぐ。
 
 ――いつもの黎斗だ。 

 そう思った途端、妙に安心した私だけど、その考えは、リビングに入ったと同時に変わる。
 リビングで上着を脱いだ私が、ソファに座った途端――黎斗も隣に座って腕を組み、私を責めるような目で睨んできたのだ。

「れ……黎斗?」
「こんな遅くまで、筑紫(つくし)先輩といたの?」

 大学での流れから、黎斗も察しはついているのだろう。
 じっと見据えられて、なんとなく落ち着かない気持ちで頷く。

「う、うん。ごめんね、夜ご飯待っててくれたんだよね? 連絡するのつい忘れて……これからは気をつける」
「そういうことじゃない」

 ――なら、どういうこと?

 黎斗の背負う空気が怖くて、腰をひいたら、黎斗がじわじわと近づいてきた。

「そうじゃないだろ。亜紀は――」

 黎斗に詰め寄られるうち、とうとう逃げ場がなくなって、立ち上がろうとするけど、そうはさせまいと黎斗に覆いかぶさられた。
 手をついて私を見下ろす黎斗は、やっぱり怖くて――苦しい顔をしている。

「……亜紀は、俺のじゃなかったの?」

 艶っぽい響き。
 黎斗だけど、まるで黎斗じゃないみたい。
 この男の人は――いったい誰だろう。
 
「れ、黎斗、私は誰のとかじゃなくて……ね?」
「ずっと一緒にいるって約束した。亜紀は俺ので、俺は亜紀のだ」 
「あんた、何言ってんの……」
 つとめていつも通り振る舞おうとするのに、声が震えた。

 私よりもずっと大きな肩、それに低い声。
 黎斗はいつの間にこんなに大きくなったんだろう。

 改めて意識すると、黎斗という存在が異質に思えた。
 私は今まで……この人の何を見てきたんだろう。
 自分とは全く違う生き物。
 ナオさんが「兄弟じゃない」と言った意味が、今初めてわかった気がした。

「……黎斗、どきなさいよ……」
「いやだ」
 虚勢を張っていつも通りきつく言っても、黎斗はいつもみたいに従わなかった。

「黎斗!」
「男が苦手な亜紀が、俺だけをそばに置いてくれたのは」
 黎斗は手の甲でそっと私の頬を撫でる。

「嬉しかったんだ」

 自分の鼓動が、黎斗に聞こえるのではないのかと思うくらい早鳴った。
 黎斗の目の色はこんなに深かっただろうか。

 間近で見つめられると――恥ずかしくて逃げたい衝動にかられた。
 ――なんなのよ、これは。

 野生味を帯びた目でひたすら見つめられて、思わず目を逸らした私に、黎斗はさらに息がかかるほど近づいてくる。
 
「亜紀、大好きだ」
「れ―――――ん、――んッ!?」
 
 告白とともに寄せられた黎斗の唇。
 はむように口づけられて、私の頭が真っ白になる。
 初めて触れた黎斗の唇は冷んやりとしていて、意外と柔らかいけど――そんな悠長なことを考えてる場合じゃなくて!

 深いキスにパニック状態でジタバタしていたら、そのうち黎斗の片手が私の服をするりとめくった。
 これ以上ない危機を感じた私は、思わず全力で黎斗を突き飛ばす。

「――はあっ……はあ……」

 呆然とこちらを見る黎斗。
 私は髪や服を整えながら、恥かしさを誤魔化すように口早に言った。

「ナ、ナオさんは私のこと、男性恐怖症じゃないって言ってたし」
「……」
「黎斗はべ、べつに、特別じゃない。たまたま一緒にいただけで……」
「亜紀は、俺がいなくても大丈夫ってこと?」
「あんたなんていなくても大丈夫に決まってるでしょ? もう、いい大人なんだからっ」

 本当はこんなこと言うつもりはなかったけど、黎斗の豹変ぶりについていけなくて、動揺を隠すために必死で取り繕っていた。
 だけど、このことがどれだけ黎斗を傷つけたのかもわからなくて――。

「そうか……亜紀が大丈夫なら……いいんだ」
 いつも通りに戻った黎斗は、ぼんやりしながら立ち上がる。
「黎斗……?」


 ――報われたかったな。


 黎斗は消え入りそうな声で呟いては、静かに部屋を後にした。