作:カメ美(@midogame

恋と甘いが浸透中  その1

社内には二人だけ。時折鳴る蛍光灯の無機質な音。
データ入力でキーボードを叩く音と、入力したデータの確認用で稼動するプリンターの音。
印刷物を見て内容をチェックするボールペンの音。
これらが交差する中、葵と笠原は作業を続ける。
そして深夜、明け方に近い4時過ぎ。印刷データで最後の内容確認を終えた二人は開放感から同時にボールペンを投げ出した。


「終わった…!」
葵は安堵感からか、まるで子供のように万歳をした。そしてすぐに立ち上がると隣にいる笠原に頭を下げた。
「笠原さん。手伝って下さって本当にありがとうございました」
「そんなかしこまらなくてもいいよ。一緒に仕事してる仲間なんだから当然でしょ?
でも思ったよりも早く終わってよかったよね。6時位までかかると思ってたからさ」
笠原は頭を下げる葵の肩を叩くと、早くそれを上げるように促した。
すると、体を起こした葵と笠原はどちらからともなく笑顔でハイタッチを交わす。
パン!という気持ちのよい音が今までの張り詰めたピリピリした作業中の空気を一気に打開した。
作業を終えた疲れた目元の中にも二人は清々しい表情だ。


二人のデスクにはファイルやプリントアウトした資料が山積み。
ブラックのコーヒー缶や、眠気覚ましのガム、糖分補給のチョコレート、そして目薬も転がっている。
「本当に助かりました。私ひとりじゃきっとこの時間には終わってなかったと思います」
「俺達のコンビネーションプレイの賜物ってやつ?体育会系じゃないけどさ」
笠原が赴任して数ヶ月。
葵と連携しての仕事も多く、それは日々を重ねるごとに円滑に動き始めているのは事実だった。
そんな中、今回のトラブル。Aと言ったらB。こんな風に意思の疎通が図ることが出来た二人だからこそ、今回の作業も大きな障害もなく終えられた。
これは仕事上で二人の息が合っていることが立証された。



「それじゃ俺は部長と課長に報告メールするとしますか。何時でもいいから作業が完了したら携帯にメールするように言われてるからさ」
「私は冷蔵庫に冷やしてある栄養ドリンク持ってきますね」
「お互いボロボロだもんな…。ちょっとしたゾンビってやつ?」
葵は泣いた時点でマスカラやアイシャドウは全て落ち、ファンデーションも剥げかけてほぼノーメイク状態。
作業でパソコンのモニターを見すぎて目は充血。疲れでまぶたは重い。
疲れきった目元は笠原も同じだ。それに男性である笠原は髭が伸び始めていた。
こんな疲れきった表情を晒す二人の間には、絆のような戦友のような。そんな感情が芽生えていた。



葵が社内の冷蔵庫から冷えた栄養ドリンクを手にフロアに戻るとデスクに笠原の姿がない。
応接室の電気が点いていることに気づき、覗くと笠原がソファに背中を預け天井を見上げていた。
ぼーっとした表情は疲労が蓄積していることを物語っている。
「三島さんも座りなよ。デスクの堅い椅子よりこっちの方が休めるし」
葵の姿に気づいた笠原はソファの隣に座るように手招きした。
そして葵が栄養ドリンクを差し出すと、笠原は一気に飲み干した。
「やっぱり冷たい栄養ドリンクはくるね。体に染み渡るよ。三島さんもいい飲みっぷりだね」
笠原同様に一気飲みした葵。その姿は女子ではなく、疲れきったオジサンである。
「部長達にメールしたら、とりあえずこのまま社内でゆっくり休めって。
部長も課長も早めに出勤するから、そこで改めて報告したら帰ってもいいってことになったよ。今日は代休扱いにしてもいいってさ」
葵は手にした空の栄養ドリンクの瓶を目の前のテーブルに置くと、膝の上で拳をきゅっと握った。
「色々と本当にありがとうございました。こんな時間までつき合わせてしまって…。お疲れですよね。すみません…」
「またそんなこと言って。結果的に俺を頼って正解でしょ?」
すると、笠原は葵の膝の上にあるその手に自身の手を重ねた。


「え…っ?」
数時間前に抱きしめられた時と同じ衝撃が葵に走る。頬が、胸の奥が熱い。そして鼓動が早い。
「あの…、さ。こんな時に言うのも反則なのかもしれないんだけど…」
「あっ!そういうのってあまりいい話じゃないことが多いので、言わなくていいです」
笠原から切り出された言葉に咄嗟にこんな答えが出た葵。何を言われるのかと胸がドキドキと高鳴っていたはずなのに。
しばしの沈黙。そして漏れた笠原の笑い声。
「はは…っ、あはは…っ!ははは…っ。そうやって切り返してくるのが三島さんだよね…っ、さすがだよ。くく…っ」
「ちょっと何なんですか!もしかしてからかってます!?」
「色々気にしたり疲れたりしてるだろうけど、それでもそうやって言い返すのが三島さんらしくていいと思ってさ。
でもせっかくだから言わせてよ。きっと今が一番いいタイミングだと思うし」
すると笠原は空いていたもう一方の手にも自身の手を重ねてきた。二人の距離も近い。
そして疲れ眼だが、笠原の表情は真剣で葵を真っ直ぐに見つめていた。