作:もり

ぬいぐるみかれし その1
ぬいぐるみかれし その2



今までに、主人が寝ている間に見る“夢”やらがワシの頭の中に流れ込んできて、ワシの夢として見てしまうことは、時折あった。歴代の主人に関してもそうじゃった。
 しかし…。しかしじゃ。
 ワ…、ワシが主人の、例え夢の中でであっても、もう一つの姿を晒してしまうことは、全くをもって…、恐らく…、無かった。
 いや。無かったはずじゃ!
 多分…。
 
 あのような姿を晒してしまうとは…。
 主人による想像の姿なのかもしれんが、主人の夢に現れたワシのもう一つの姿は、主人の想像通りの姿をしておる。
 ちょっとは、違う姿で現れればよかったものを…。
 うーむ…。
 まずいのう。
 
 
 そんなことを考えておる間に、外が白み始めた。
 窓を覆う布の隙間から、朝日が差し込んできたようじゃ。
 もう、完全に夜が明けたのう。
 あと二週間後の満月の晩には、主人を見守るだけの、ただのぬいぐるみの“ぎんじろう”に戻る。
 ワシとしては、戻りたくないのう。
 そう思ってしまったのだ。

 その、思い悩んでおった日の晩。
 主人が若干であるが、目を腫らして帰宅してきた
 恐らく、ちょっと泣き腫らした目という様子じゃ。

 この二週間、このように目を腫らして帰ってくることはなかったが、これまでの単なるぬいぐるみの時も、たまにあった。主人が幼い頃は頻繁にあったように思うが、成長にするに連れて、その頻度自体は減ったが、最低月に一回はあるのだ。年齢を経るにつれて、うまく隠すことはできているように主人は思っているかもしれんが、ワシにはお見通しじゃ。

 平静を装って、帰ってきているようにしているが、どこかいつもと違うのじゃ。
 主人は自分の勤めに関しては、このようなことは無いのじゃ。目を潤ませる程度じゃが、それ以外の事象に対しては、極々まれにではあるが、このような泣き方をするのじゃ。それが、何かに感動したということ
では、目が腫れているということは無い。主人にとって、心に辛いことが起きたことを示すものじゃ。
 恐らく、今回もそういう事象が主人に起きたということかもしれん。

「オマエさん。今、帰ったのかの。……あのな。ちょっと聞きたいのじゃが。良いかの…。」

ワシがそういうと、主人は顔を上げ、少し潤んだ目でワシを見た。

「…ぎんじろう。わかっちゃった?やっぱりお見通しね。」

そう言うと、部屋着に着替えた主人は、ワシのいるベッドに腰を掛けた。

「ぎんじろう…、あのね。…あのね。」

と、言葉を紡ごうとすれども、平静を装うとして押し殺している感情が表に出ようとしているようで、その感情を必死で抑え、冷静に言葉を口にすることができない。

 ワシは、いてもたっても居られず、主人の腰掛けている処へ行こうと、寝床の定位置から、ふかふかの布団に足をとられながらも、必死で歩いた。
 その様子を感じた主人は、ワシを抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。

「無理に話さんでも良い。…もし、ワシに話してくれるのなら、ゆっくりゆっくりで構わん。じっくり聞いてやるからのう。」

「…ありがと、ぎんじろう。」

と、主人がぽつりと呟いた。そして、ワシの頭に一滴の水が落ちてきたのを感じたのじゃ。

 そうして、主人は、その日会社であったことを、ぽつりぽつりと語りだした。
 まとめると、主人に色々と教えてくれたりしていた先輩が、海外の会社へ出向となった。そして、それと共に主人とは違う職場の女性と結婚するということじゃった。

 主人はその先輩に淡い恋心を抱いておったのじゃろう。その殿方の話をするときの主人の顔はこの上なく微笑んで、いきいきとしておったもんじゃ。その殿方が、海外へ赴くのみならず結婚ということまで聞いてしまった。主人にとっては、とても辛いじゃろう。

「……さぞ、辛いじゃろう。しかし、ワシは醜い争い事は嫌いじゃ。その殿方の幸せを祈りなさい。なかなか諦めきれんとは思うがの。そして、オマエさんが、その殿方よりも良い殿方と出会う為の準備だと思いなされ。…今は、苦しいじゃろうがのう。」

 ワシがそういうと、主人はワシをギュッと抱きしめ、うんうんと頷く度に、ワシの頭に涙が一粒ずつ染み込んでいく。こういうときにワシは、主人に対して、そばに居てやることしかできんのが、いつもいつももどかしい。

「…オマエさんが落ち着くまで、こうしていなされ。こういう時は、泣き虫だろうが何だろうが構わん。ワシは、何も言わんから。」
 ワシのその言葉に主人は今にも消え入りそうな声で、「………ありがとね。」と、言った。

 どのくらいの時間が経ったのかのう。
 その晩はそのまま主人は寝入ってしもうた。
 そして、ワシはその次の日にワシのえらいさんに呼び出しをくらってしもうた。




 主人が久々に号泣した日から一週間が経った頃、主人が朝付けていたテレビという映像を映しだす機械から、もうすぐ皆既月食じゃということを言っておった。
 “皆既月食”か…。やはり、こういうことは言いにくいもんじゃのう。少しずつではあるが、元気取り戻し、前を向きつつある主人には、特にのう。

 そして、晴れていれば、日本で綺麗に“皆既月食”を見ることが出来るという晩がやってきた。
 週の真ん中という日にも関わらず、主人は珍しく居残りもなく、勤めから戻って来た。その上、今日はやたらとうきうきしておるようじゃった。ワシと、この“皆既月食”を見たいと。

「よかった。なんとか間に合ったね。ぎんじろう、ねぇ。ベランダに出て、一緒に月食、見ようよ。ねっ。」

 主人はそう言って、ワシに子供のような屈託のない、無邪気な笑顔を向ける。ワシは、主人がこれほどまでに元気になっていることに、とてつもなく嬉しくなった。しかし、ワシには、告げなければならないことがある。ワシは、意を決して、ベランダへ出ようとしている主人に向かって言った。

「すまんが、オマエさんに言わなければならないことがあるんじゃ。…大変言い辛いことなんじゃが、今日の“皆既月食”が終わったら、ワシは、今までの、“ぬいぐるみ”としてのぎんじろうに戻らねばならん。…ワシは、えらいさんとの取り決めを破ってしもうたからのう。」

 主人はベランダと部屋を隔てている窓を開けようとしている手を止め、振りかえり、ワシを見た。
 その目は、驚きも多少あったかもしれんが、大半は覚悟が占めているように思えた。そして、少し考えてから、主人が言った。

「…そ、そう。ついに来ちゃったんだね…。ある程度は覚悟してたよ。でも…。」
 その言葉は、少し悲しい音色に聞こえた。しかし、すぐ後に。「大丈夫だよ、大丈夫。」と自分自身を諭すように言葉を続ける。

「突然こう言っちゃなんだが、すまんが、ワシを上へ投げてくれんかの。天井に当たらないようにな。」
とワシが言うと、主人はびっくりしたような顔をして、

「いいけど、でも、うちのおばあちゃんから、ぎんじろうは上へ投げちゃダメって言われてたよ。ホントにいいのかな。」というもんじゃから、ワシは、
「ワシが良いというんじゃから、良いんじゃ。早くせんと月食が終わってしまうぞよ。」
と言って、主人を急かすと、主人は訝しげな顔をしつつも。ワシを抱きかかえて、上へポンっと放り投げた。そして、その瞬間、ワシのモコモコの体から一瞬眩しい光が放たれたかと思うと、ワシのもう一つの姿へと変化した。

「ホントに“ぎんじろう”なの…。」
主人は目をまん丸にしてワシを茫然と眺めておった。ちょっと、顔を赤らめてもおったかの。

「ふう。そうじゃよ。もうすぐ“ぬいぐるみ”としてのワシに戻るから、一度だけこの姿のワシも、オマエさんに見せておこうと思ったんだよ。ちょっと、恥ずかしいがの。」

 以前、主人の夢に出てきた姿と同じ、長い腰までの黒髪が特徴の見目麗しい青年の姿。それが、ワシのもう一つの姿。だた、頭には長い耳があるがの。

「この姿は、オマエさんにしか見えん、まあ、ベランダに出ずとも、今回の月食は、綺麗な満月じゃから、こんな住宅地からでも十分見える。そうじゃから、窓辺から眺めるのも趣深いぞよ。」
ワシは主人の傍らに立ち、少しずつ少しずつ欠けていく月を眺める。すると、主人もワシと同じように窓越しに眺める。

「…綺麗ね、お月さん。こんなにじっくり眺めたことがなかったけどね。」
 その言葉を出すのが精いっぱいのようじゃった。しかし、こんな綺麗な月を形容する言葉なんて、そう浮かんで来んじゃろう。

 しばらく眺めていると、完全に月が隠れた。あと、半分…。

「ぎんじろう、私ね。ぎんじろうがこうして直接私にいろいろアドバイスとか言ってくれて、すごく嬉しかったの。あっ、お説教もあったけどね。気分も沈んじゃった時とか特にね。傍にいてくれるだけじゃなくって…。あー。うまく言えないー。うーんとね。」

「皆まで言わんでもよい。オマエさんが少しでも前向きに過ごしていけるようになってくれれば、良いのじゃよ。ちょっとでも、その助けになれれば、ワシは十分じゃ。心置きなくワシは、また陰から見守る存在に戻れるというもんじゃ。」

 そう話しておると、だんだんと月が元の満月に戻り始めた。
 ワシは最後に主人の頭をそっと撫でた。それが主人に対してしてあげられることの精一杯じゃった。
「ありがと、ぎんじろう…。」
そう主人が言った瞬間、再びワシの体を眩い光が包み込んだかと思うと、ワシは元の“ぬいぐるみ”の姿に戻り、ペタンと床にへたり込んで座った。
「元に、戻っちゃったんだ。これから、ちょっと寂しくなるな…。」


 ワシは、一ヶ月ではなく少し短くはなったが、主人といろんなことを話した入り、自由に動き回ったりできた時を嬉しく思った。しかし、今は、主人を陰ながら見守るのじゃ。
 と、モコモコのぬいぐるみであるワシはそう思っていた。



 それから一週間後、主人の自宅へ荷物が届いた。
 勤めから帰宅した主人がその荷物を開けた途端、皆既月食の時のような眩い光が、主人の寝床の枕元で座っているワシを再び包み込んだかと思うと…。

 主人は、徐にワシをぎゅっと抱きしめた。
「くっ、苦しいぞよ…。」
「おかえり、ぎんじろう! こんどは、ずっと一緒だよ。」
                              終わり