作:虚空花(@morino_hana

声を聞かせて 第1話


「亜紀(あき)、この頃変だ。何かあったのか?」

 ――放課後の大学研究室。
 後ろから声をかけられて、私は弾けるように目を覚ます。
 べつに眠っていたわけではないけど、ついぼんやりしてしまった。

 振り返れば、斜め後ろの席にはやたら背の高い白衣の幼馴染がいた。
 
「……べつに、何もないわよ」
「嘘だ。亜紀がそんな顔してる時は、絶対何かある」

 子供みたいな喋り方。
 デカイ図体なのに、そのギャップが可愛いとサークルの友達が騒ぐのを耳にしたことがあるけど、これのどこが良いのだろう。

「何かあっても、黎斗には関係ない」

 黎斗といると素の自分でいられるのは楽だけど、ちょっと心配性すぎて面倒くさい。
 小さい頃は兄弟のようにべったりだったせいか、いまだに家族のような関係なのだ。

「ねぇ亜紀……先週から妙なバイトしてるだろ?」
「――え」

 ほとんど表情が表にでない黎斗が少し眉間に皺を寄せている。
 静かな怒りの気配。これはちょっとヤバイかも。

「なんで知ってるの?」
「舞(まい)ちゃんから聞いた」
「あいつ! 絶対言うなって言ったのに! ……もうっ」

 口の軽い私の親友は、黎斗になんでも報告したがる。
 口止めでケーキをおごってあげたのに、おごり損になってしまった。

「それで、亜紀はどんなバイトをしてるんだ?」
「聞いてないの?」
「舞ちゃんは『妙なバイトしてる』としか言わなかった。亜紀との約束だからって」
「あいつ……中途半端なことを」

 意味ありげな余韻を残したせいで、黎斗はいかがわしいバイトと勘違いしてるようだ。

「……違うからね。黎斗が思ってるようなバイトはしてないからね」
「じゃあ、何のバイト?」
「……う」
「亜紀」
「……配ってきたのよ」
「は?」
「ポケットティッシュ配ってたの! どうせあたしは、接客なんて出来ないんだから! 仕方ないでしょ!」

 ――男の人がムリなんだから!

 怒りにまかせてまくしたてると、黎斗はハトにマメ鉄砲をくらったような顔をする。
 私はエクセルで出したグラフの裏を、のりでぐちゃぐちゃにしてノートに貼ると、それを黎斗の顔に投げつける。
「私はもう終わったから。あんた、私の代わりにそれ出しといて」

 言うだけ言った私は、顔も見たくないとばかりに狭い研究室を出る。
 ――ああ、黎斗以外の男の人とも、こんな風に普通に話せればいいのに……。
 だけど現実はそうもいかなくて、研究室を一歩出た瞬間、私は固まってしまう。

 廊下を見れば、男ばかり。
 女もそれなりにはいるんだけど、意識しすぎるせいか、男ばかりの世界にしか見えない。
 私はなるべく他人を視界に入れないよう、俯いて歩く。

 昔はこんなんじゃなかったのに……どうしてこんな風になっちゃったんだろ。

 大きな溜め息をついて人通りの少ない中庭に出る。
 偉そうに言って飛び出してきたけど、上着を研究室に置いてきてしまった。

「……ほんと寒くなってきたなぁ」

 こんな寒い日は、たった一人の家族を心配をしてしまう。

「お母さん、大丈夫かな」

 心臓が悪くて、あまりに寒いと倒れることもある母。
 だから本格的に寒くなる前に、暖かい服を買ってあげようと思って、短期のバイトを始めたんだけど。
 ティッシュすら、普通に渡せないなんて。
 母は私の体質を知ってるから、生活が大変なのにバイトしろとかも言わないけど。

『今は学業に専念して、いつか私を養ってちょうだい』

 なんて、いつも嘘みたいに言うからたちが悪い。
 母はまるで、私が社会人になる前にいなくなってしまうみたいに――諦めた顔で夢を語る。

「大学生って、本当は何するんだろうなぁ」

 母のことが心配で、遊んだこともなければ、合コンも行ったことがない。
 そんな私を知らないで、好きだと言ったあの人。
 ナオさんがどうして私を好きだなんて言ったのか、理由が気になった。

「やっぱり……からかわれただけだよね」

 手に息を吐きかけると、急に目の前が暗くなる。
 見上げれば黎斗ほどではないけど、長身の男の人が立っている。

「え? ナオ……さん」
「覚えててくれたみたいで良かった」

 あんなにインパクトのある登場をされて、忘れられるはずもない。

「本当に……同じ大学、だったんですね」
「俺のがイッコ上だけどね」
「そうなんですか……?」
「亜紀ちゃんはいっつも寒そうだね」
「……そうですか?」
「うん、心が寒い寒いって悲鳴あげてるみたい」
「なんですか、それ」
「だから俺が温めてあげたいなって思って」
「よくわからないけど……えっと、遠慮しておきます……じゃ」
 ナオさんのペースにのまれないよう、立ち去ろうとするけど、ナオさんは私の前に立って邪魔をする。

「カレシさんには言ってくれた?」
「……なんのことですか?」

 ナオさんは私が避けようとすると視線をわざと合わせてくる。
「駄目だよ。俺がコクったの、なかったことにしようとしてるでしょ?」
「だって……冗談でしょう?」
 追いつめられているような錯覚に、背筋が冷たくなる。
 男の人を怖いと思うのは日常茶飯事だけど、ナオさんの怖さは他の誰とも違ってる気がした。
 
「俺のこと、怖い?」
 真っ向から聞かれて、私は言葉を詰まらせる。
 前に会った時はちょっと話しやすいかな、なんて思ったけど、勘違いだったのかもしれない。

「……怖いです。だから、そこをどいてください……」
 正直に言うと、ナオさんは相好を崩した。
「怖いのは当然だよ。それは俺が本気だから。たぶん亜紀ちゃんは面と向かって気持ちをぶつけられたことがないんじゃないかな」
「本気、ですか?」
「そう、俺の言葉が冗談じゃないってわかってほしかったんだ」

 私を凝視していたナオさんは、視線をはずして、私の前から少しだけ下がる。
 気持ちが一気に楽になる。

「ごめんね。でも好きだからさ、わかってほしくて。それで、わかってくれた?」
 今度はわざと、茶化したように言ってくる。
 きっと私の緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。

「……はい。ナオさんが私を好きだということは……わかりました」
 思ったままを言うと、ナオさんは腕を組んでよしよしと頷く。
「これで亜紀ちゃんは――」

「亜紀」

 最悪のタイミングだった。
 背後から土を踏む音。
 背中に威圧的な風を感じて、私は振り向けなくなる。
 見なくてもわかる。
 過保護代表の幼馴染に見つかった。
 研究室から近いこんな場所で、立ち話をしてたのがよくなかったんだけど。

 ――さあ、どうしようか。

「あのね……黎斗、この人は――」
「筑紫(つくし)先輩、亜紀になんの用ですか?」
 意外にも、黎斗はナオさんのことを知っていた。

「黎斗、違うの――」
「何も違わないよ」
 私の言葉に返したのは、黎斗ではなくナオさんだった。

「俺は亜紀ちゃんにコクって、それが嘘じゃないってことをもう一度伝えに来たんだ」
 
 黎斗の視線に少し怒りの色が混じる。
 昔から黎斗は、私がこの体質でよくいじめられたりしたから、私に近づく男の人全てを警戒していた。

「黎斗、そんな顔しないで。私は別にいじめられてるわけじゃない」
「亜紀は黙ってて」
 淡々とした声で言って、ナオさんをじっと観察する黎斗。
 そんな黎斗を見て、ナオさんはくすりと笑う。

「保護者っていうより、忠犬みたいだよね、キミ。駄目だよ、そんなんじゃ」
「ナオさん!」
 
「わからないかな、黎斗君。キミが亜紀ちゃんを駄目にしてるんだよ」