作:虚空花(@morino_hana

「えっと、これどうぞ――」
 声のトーンを少しだけ上げて営業スマイルを作るけど、笑顔を向けた途端、全身紫のオバさんに拒絶される。

「いらないわよ」

 私が差し出したポケットティッシュをかわしたオバさんは、まるで私が悪いことをしてるみたいな顔をする。私だって、好きでこのバイトしてるわけじゃないのに。

 拒絶された数はもう二桁どころじゃない。
 なんだか切ない気分になって、空に息を吐くと、綿のような塊が広がり、泡のように消えた。

 キルト風のスカートにグレーの綿パーカーでは、冷風が肌にまで透過する。
 一風ふくだけで、背筋が震えた。
 とりあえず、マフラーで顔半分を覆うように巻き直してみる。

 再び商売道具を胸いっぱいに抱えると、街灯がともり、汚い繁華街も少しだけ綺麗に見えるようになる。
 ちらりと視線を落とすと、足元の段ボールには満杯のポケットティッシュ。
 ノルマの壁が高すぎて、一日中働き倒しても、なかなか手が届かない。

「なんでティッシュ配りなんかにしたんだろ……私」
 呟いても、背景と同化してるティッシュ配りのバイトを気にする人もいない。

 要り様があって、始めた短期のバイト。高給でラクな仕事と聞いて、安易にチャレンジしてみたけど、とんだ勘違いだった。

ああ、働くってしんどいなぁ……でも、大学卒業したら毎日仕事しなきゃだよね……。

 一抱えをさばいて、再び段ボールを見下ろすと、げんなりする現実がそこにある。
 半ばヤケクソでティッシュを掴んでいたら――。

「ねぇ、これ貰っていんだよね?」
 私と同じ高さまで屈んだ薄茶髪の男の顔がすぐそばにあった。
 顔が近いし、いきなりだしで、私は思わず数歩下がる。
「――い、いいですよ。持っていってください」
 普通に言うつもりが、ぎこちない上、語尾が小さくなってしまった。

 女手一つで育てられたせいか、私は男と名のつく生き物が苦手なのである。
無心なら、さりげなく配れるポケットティッシュも、面と向かって必要とされると気後れしてしまう。

 恐怖をカモフラージュするために、視線を彼の鼻あたりに止めて、ティッシュを渡すと――逆にのぞきこまれて、「ひあぁ」と変な声を上げてしまう。

 迷彩柄の腰履きデニムに、フードに羽のついたジッパーニットを着た彼は、いかにも軽そうで、私の苦手なカテゴリだった。

「ああ、驚かせてごめん。知り合いに似てたからつい、じっと見ちゃった」
「……はあ……そうなんですか」
「おい! 尚(なお)、何してんだよ!」
 ストリート系ファンションの友人らしき人達が私をじろじろ見ながら叫んだ。
 だけど、ナオと呼ばれたその人は、「先言ってて」とすぐには動かない。
 さっさと行けばいいのに――ナンパなら、ホントやめてほしい。

「ねぇ、君、亜紀ちゃんでしょ?」
「え」
 名前を当てられて、見知らぬ男への恐怖がほんの少しだけ薄れる。
「もしかして、本当にどこかで会ったことある……りますか?」
「同じ大学だけど?」

 てっきりナンパか、ティッシュ配り女をからかいに来たのかと思ったけど、そうでもなかったらしい。私がようやく警戒を解くのを見て、彼は子供みたいな顔で笑う。

大人びた顔立ちだけど、笑うと可愛いかも。

「君さ、板垣教授んとこの研究室にいるコでしょ? 俺もちょっと間そこにいたんだよね。一ヵ月くらいは一緒だったと思うけど」
「……そうなんですか?」

 私が所属する板垣教授の研究室は少人数だし、短期間でも知らない人はいないはずなんだけど――それでも、私のことを知ってる様子を見ると、あながちウソを言ってるとも思えなかった。

「今日はカレシさん、一緒じゃないの?」
「かれっ――彼氏じゃありません!」
 カレシと言われて思い当たる時点でなんだかな――と思うけど、彼が指摘する人物が誰なのかは考えるまでもない、『あいつ』のことだ。
 『あいつ』とは、私が唯一自然体で接することができる幼馴染――大宮 黎斗(おおみや れと)のことだろう。
 小学校から一緒にいる黎斗とは、なぜか普通にコミュニケーションをとることができるから、勘ぐられたりすることが多いけど、あいつとはそういう間柄でもなくて。

「そうだよね。カップルでティッシュ配るわけにもいかないよね」
 しゃがんだまま掌に顎を乗せてこちらを見るナオさんは、何を考えているのか、さっぱりわからない人だった。

 でも今まで出会ったどの男の人よりも……(黎斗を除けば)接しやすいかも……?

「な……何が言いたいんですか?」
「こんな時しかチャンスがないのかなって」
「チャンス、ですか?」
 私の耳に顔を近づけたナオさんは、内緒話のように口に手をあてて静かに爆弾を投下した。

『君が好きなんだ』 

 言って彼は、私の鼻頭に派手な音を立ててキスをする。
「な……何するんですか!」
 鼻を両手で隠して訴えるけど、彼は悪戯が成功した子供みたいな無邪気さで笑った。
「――って、ティッシュの上でコクってみたり?」 
「ば、ばバイトの邪魔しないでください!」
 動揺して、ティッシュを抱えてはボロボロと落とす。拾っても拾っても、手が震えて拾えない。
 それを見たナオさんは、私の代わりにティッシュを拾ってなぜか配り始めた。
 彼が配ると私の三倍の早さで胸いっぱいのティッシュが消える。
 
 ――――手慣れてる。

「いやぁ、カレシさんいたら声かけるのも大変だろ? やっと言いたいこと言えて万々歳だわ、俺」
「わ、私はちっとも万々歳じゃないですからっ」
 こんな時、あいつが居てくれたらなんとかしてくれるのに――と、なんだかんだ幼馴染をあてにする私も嫌な女だ。
 都合の良い時だけ男扱いするのもなんだけど、あいつはそういうのを、いつも黙って引き受けてくれるから。

「そんな泣きそうな顔しなくても、もう何もしないって。ちょっとした宣戦布告だからさ」
「……これ以上、変なこと言うのはやめてください……私、お男の人が苦手で……こういうからかわれ方しても、困るんです……」
「知ってるよ、亜紀ちゃんは男が苦手だってこと。でも大丈夫! 俺といればすぐに慣れるからさ? ――じゃ、このことはくれぐれも全部、カレシさんに報告するように。以上!」

 勝手に現れて、勝手に他人の心を掻き乱した彼は、言うだけ言って友達を追いかけていった。
 残された私は、彼が言う意味が理解できないながらも、嫌な予感しかしなくて、絶対黎斗には言わないでおこうと心に決めた。

 胸にモヤモヤを抱えたままティッシュを抱えなおすと、さっきよりもずっと重みが増しているような気がした。