作:カメ美(@midogame

 

部内の歓迎会の帰り道。笠原と携帯番号とアドレスの交換をした葵。あの後、ちょうど自宅に着いた頃に笠原からのメールの着信があった。
「今日はありがとうございました。またこれに懲りずに仲良くしていただけたら嬉しいです」
内容は至ってシンプルなものだった。あれこれ飾り付けられた言葉よりもぐっとくる。葵はそう思った。そして葵は笠原へこう返信した。
「こちらこそありがとうございました。お手柔らかにお願いします」
思わせぶりな言葉を紡がれても色恋沙汰がお久しぶりな葵は正直びっくりしてしまう。だから、例えばもしもの話。恋が始まるとしても急速だと自分の気持ちが追いついていかないのだ。

週明け、半ばも過ぎると部内の葵と笠原に対する空気が先週までと少し違っている、葵はそう実感していた。例えば、葵が笠原に仕事を教えている時に入った葵あての電話の取次ぎ。葵は根が真面目なので、指導中はどことなくぴりぴりしていて時折話しかけづらい雰囲気があったのだ。先週は皆、「教えてるところすみません」と言わんばかりの非常に気を使った顔で取り次いでいたが、それが柔らかくなった気がする。

「よっちゃん。三島さんは真面目だからぎっちり教えこまれるだろ?」デスク近くの電話が空いていなかったので、少し離れた場所で電話をするために葵が移動すると通りすがりの部内の男性社員が笠原に声をかけた。歓迎会以来、一部の社員の間で笠原のニックネーム「よっちゃん」が定着してしまったようだ。

「でもそれだけ真剣ってことですよね。だからむしろ仕事を覚える身としては助かりますよ」「よっちゃんも真面目だねぇ。あ、三島さん電話終わったみたいだね」

「前から思ってたんだけどさ。三島さんもさ、あまり根つめて教えると自分も教えられる方も疲れちゃうから、たまには息抜きしたほうがいいよ?」「えっ?もしかしてそんな風に見えてました…?」デスクに戻るなり男性社員から言われた言葉に葵はハッとした。「真面目だからどうしても堅くなっちゃうんだよね、三島さんは。でも元々知り合いなら尚更もっと根つめなくてもいいんじゃない?早く覚えてもらいたいのはわかるけどさ」

確かに。葵に誰かに物を教える時にはどうしてもそんな傾向がある。それは自覚していた。きちんと教えなくては、真正面から向かわないと教える相手にも失礼だ。そう思うと自然とそうなってしまっていたのだ。

こんな風に周囲から言葉をかけられるのは、恐らく歓迎会の席での笠原の例の話題緩和のおかげだ。客観的にそう見えていてもなかなか指摘できない。葵は自分でその雰囲気を作り出していたことを実感した。

「頑張ってる三島さんに教えてもらうと、僕も早く覚えてお役にたてるようにならないと、って思いますよ」「よっちゃんは真面目な上に謙虚だねぇ。三島さんとは真面目同士、気が合うんじゃないの?」「そう思います?実は僕もそう思っていたところだったんですよね」
冗談交じりとも思えるそんな他愛もない会話をしていたところで、男性社員は課長に呼ばれその場から席を立った。

葵は自分のデスクの椅子に座ると、隣にいる笠原に照れくさそうに言葉をかけた。「あの…。私、色々気を張り詰めすぎちゃってましたね。仕事のペースも早すぎましたよね…?」笠原は葵が更に言葉を続けようとしていたので、口は挟まずいつものようにニコニコと笑みを浮かべている。「それと…、色々ありがとうございました…」「どういたしまして」
お礼を述べた意味を細かく口にしなくても笠原はその意図を理解していたようだ。歓迎会での笠原の話題緩和で葵と笠原に対する周囲の接し方が徐々に変わってきたもの事実だ。教えることに必至な葵に周囲が気を使っていた、という意味なのだが。

その後、緊張感が抜け笠原に仕事を教える葵にも少し余裕が出始めた。元々、笠原が頭の回転が早く理解力も高いというのもあるが、以前「オフ」で接したような柔らかさが二人の間に見え隠れするように。

そして、それから葵と笠原は時々仕事帰りに飲みに出かけるようになった。仕事を離れた「オフ」の二人の間に色気のある会話は殆どなくまるで友人同士、仲のよい会社の同僚。そんな間柄だ。変な誤解を受けると厄介なので、一応、周囲には内緒だ。
以前、笠原は葵に思わせぶりな発言をしていたことがまるで嘘のような「男友達」「女友達」の関係。葵は当初はほんの少し物寂しくも感じていたが、笠原といると何だかんだで楽しいと思えるのでそんなことは気にならなくなっていた。

そして、あっという間に笠原が赴任してきて三ヶ月が経とうとしている。葵が教えた仕事もほぼ難なくこなし、それ以外にも笠原は仕事を受け持つことになり、今ではつきっきりで葵が教えていたことも随分前のことのように思える状況だ。

「三島さん、ちょっといいですか?経理から売上データ確認して下さいってダメ出しがきたんですけど…」自身のデスクから少し離れた社内システムのサーバー近くにいる葵に笠原が声を掛けた。「ちょっとそれどころじゃない事態が起きました…」「えっ?どうかしましたか?」パソコンの前でがっくりと肩を落とす葵。「サーバーがフリーズしちゃいまして…。多分、ハードディスクが壊れた可能性が高いです…」「それ、相当まずいじゃないですか!」「なので、社内全員と関係箇所にこの件を伝達してらっていいですか?」葵は冷静に笠原に指示を出しながら近くの電話の受話器をとり、サポート会社に電話をかけ始めた。

「三島さん伝達終わりましたよ」「ありがとうございました…」うつろ眼な返事。椅子に体を預け、ぼーっと視点の定まらない葵。それは状況の事態の大きさを現しているかのようだ。
「あの、三島さん…?大丈夫…ですか…?」笠原はおそるおそる葵に問いかけると、無言のまま首が縦に振られる。「三島さん…。僕にできることは手伝いますからきちんと言って下さいね?」その言葉に葵はうつろな目で小さく頷いた。

笠原が赴任してきてから気づいたこと。葵は責任感が強いせいか、どうしてもためこんでしまうということ。そして自分に厳しくて、周囲に頼らずなんでもひとりで解決してしまうタイプだ、ということ。それは時にはよくない方向へ発展してしまう。笠原はそんな状況では葵が潰れてしまうのではないか?と日頃から心配していたのだ。

メーカー担当者が来社し、修理が無事に完了したものの今月分の売上データの半分近くがすっ飛んでしまったことが判明した。部長と課長と話をする葵の表情が非常に険しい。

「今日は徹夜でデータの入力と確認作業をするしかないと思います」「徹夜!?」「はい。タイミングが悪いことに明日は月末です。明日の就業時間内に消失分のデータ入力してもいいのですが、万が一間に合わなかったら月末締めに影響が出ます」「だけど三島さん…」「徹夜だったら以前もデータ消失の時に一度やってますし大丈夫です」
葵と部長と課長の会話。これに笠原も驚いた。
「でも三島さん一人でこの量を対応するのは…」「前回も徹夜したら終わったので、今から朝までやれば何とかなると思います」
徹夜?前回も?一人で?この会話を聞いた笠原は葵の肩をポンと叩いた。
「少しでも早くデータを入力しなくてはならないんですよね?僕も三島さんと一緒に残って作業します」