作:カメ美(@midogame

 

口説く。意味としては、自分の思いを言い寄ること。

葵は笠原が何を言っているのか理解できず、思考回路が停止してしまった。
こんな風に意味深なことを言われたのも初めてだし、ましてや口説くだなんてはっきりと言葉にされたのも初めてだ。
はっと我に返った葵の目の前には悪戯っぽく笑う笠原の表情が。
これは絶対にからかわれていると確信した葵はテーブルをバン!と音を立て叩きながら立ち上がった。
「怒ります!怒るに決まってるじゃないですか!そんなこと言う前に仕事に慣れて下さい!覚えて下さい!」
顔を熟したトマトのように真っ赤に染め、むきになって吼える葵。声を荒げたのは動揺している証拠だ。
「はは…っ、あははは!そうですよね、うん。三島さんならそう言うと思いました。だって真面目ですもんね…、あははは…っ!」
「何笑ってるんですか!からかうのもいい加減にして下さい!」
更にむきになる葵に座るように促す笠原だが、笑い声は止まらない。笠原は世間で言うとイケメンだと思う。
そんな人に口説き文句のような言葉を言われたのも、それが冗談でからかわれたのも初めてで、
ショックと動揺とで気持ちが混沌とし、腰を下ろした葵はジョッキに残ったビールを一気飲みした。

「突然こんなこと言われたら驚きますよね。でも冗談じゃなくて、研修の時から気になってたことは本当です。
あの時もこの会社に出向することはほぼ決定事項でしたから、また三島さんに会えるのを楽しみにしてたんです。
ねぇ、三島さんは仕事とプライベートは分けるタイプですか?」
またこの人は突拍子もないことを言い出した。葵は若干冷ややかな視線を笠原に向ける。
「分けます。オンとオフはがっちり分けます。会社を出たら仕事のことは忘れるようにしています、むしろ忘れたいです。そんな心意気です」
警戒心剥き出しなその答えに笠原は嬉々として言葉を繋げた。そしてジョッキに残ったビールを飲み干した。
「僕も同じです。オンオフの切り替えは大事ですよね」
「でも今日のような仕事関係の飲みは別です。だって歓迎会ですから…」
葵の発言を遮るかのように笠原の声が被り、それは葵の意見を明らかに拒んでいた。

「今も会社を出ているんだからオフの時間でいいよね。だから少し砕けて話をしてもいいかな?」
あれ?何だか口調が変わっていないか?ニコニコとした笑顔はいつも通りだが、何かが違った。
「俺もオンオフの切り替えはしっかりしたい方なんだよね。まぁ、オフまで気を張ってたら疲れちゃうし。新しい職場に慣れるまでは尚更そうだからさ」
ん?今、俺って言わなかった?葵の中で疑問がぐるぐると回転する。
「俺、さっき三島さんのこともっと知りたいって言ったじゃない?それには俺も素を出さなきゃフェアじゃないし」
「あの…、笠原さん…?何だか口調が変わってません…?」
穏やかで丁寧な口調からだいぶフランクな口ぶり。その変化に葵はうろたえ、思わず空になったジョッキを掴んでしまう。
水滴の冷たさでまるで自分の動揺を鎮めるかのように。
でもにこやかな笑顔だけは変わらない。

「こっちが普段の俺だよ。ほら、仕事中はあくまでもオンだからさ。丁寧な感じだけどプライベートの俺はこんなだよ」
突然こんな裏の顔、のような発言をされても困る。葵はなんて反応したらよいのかわからず呆然と口が半開き状態だ。
「なんでそんなに驚いてるの?俺は三島さんとはオンだけじゃなくて、こうして飲みとかオフの付き合いもしたいから素を見せただけなんだけど?」
「あの…、いきなりそんなことを申されても困るんですが…」
「そうだよね、そりゃ困るよね。でも慣れて?俺は早く仕事に慣れるから、その分三島さんはこっちのオフの俺に早く慣れて欲しいな」
有無を言わせないような強引な口ぶりに葵は頷きもせず、また否定もせず、やっぱりただ口を半開きにするだけ。
笠原はそれを肯定と受け取ったのか、悪戯っぽい笑みを浮かべながら頬杖をついた。

「あれ、三島さんもジョッキ空っぽじゃない。次何飲む?同じ生中でいい?」
「いえ、私実はビール苦手なんです。なのでカルピスサワーで…」
「え、何?ビール苦手なのに乾杯の時は俺に合わせて生中頼んでたの?そんな気を使わなくていいのに。甘い系の酒が好きなんだ?結構いけるほう?」
「はい、そこそこ…」
「そこそこって答える人は大抵かなりいける人が多いんだよね。今日は飲み放題コースでしょ?だったらお互い親睦を深める為に飲もうよ。
つまみは何食べたい?…っていうか、好きなもの何?」
「だし巻き卵…」
「俺もだし巻き卵は居酒屋行くと必ず頼むよ。酒飲む時も結構食べる方?俺がそういうタイプだからさ、一緒に食べてくれる子好きなんだよね」

誰でもオンオフで雰囲気は違ったりするものだが、こうもあからさまに宣言されてしまっては今後この人の対応はどうしたらよいのだろう。
葵は思考回路が当然のごとくうまく働かず、その後サワーの類を何杯飲んだのかあまり覚えていない。
笠原に「三島さん、いい飲みっぷり。女の子で豪快に飲まれるとむしろ見ていて気持ちがいいね」こんなことを言われたので相当飲んだのだと思う。
葵はお酒に弱いほうではないので、ほろ酔い程度だったが笠原と何を話したのかもあまり覚えていない。

「三島さんってどこに住んでるの?会社の最寄り駅から一駅先?そうなんだ。俺さ、この土地初めてだから色々教えてよ」
「趣味ってなに?ゆるキャラグッズ集め?へぇ、可愛らしいね。だから三島さんのデスクの上にはキャラクター物が置いてあるんだ」
「え?俺の趣味?プチ旅行だなぁ。近距離の場所に行って気ままにふらっと行って散歩すんの。
色んな発見もあるしリフレッシュできるんだよ。今度俺と行ってみる?お散歩デートってやつ」

こんな会話をしたような気がするが、やはり動揺しているせいで記憶はあやふやだ。
でも覚えていえるのは笠原は意外に饒舌であったこと。それは酔っていたからかどうかは定かでないが。
笠原は思わせぶりな発言をしていたが、それも自分をからかっているに違いない。
そう思うとこの場を乗越えるために飲むしかなかった。

 

「今日は歓迎会なのでお勘定は私が!」
「でも年下の女性に払わせるのは気が引けるよ」
「いいんです!今日は私が誘ったんですし、歓迎会ですから!」
「そんなこと言われても俺の男としての面目が…。それじゃ俺達、役職も同じだし対等ってことで今日は割り勘にしよう」
「それじゃ申し訳ないです!」
「俺が早く仕事覚えて三島さんの役に立てるようになるっていう意思表明ってことで。だから今日は割り勘ね」
今日の会計は歓迎会なので勿論自分が…、と葵は考えていたのだが何だかんだでこんな結果になってしまった。

「ねぇ、三島さん。今日は誘ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ急にすみませんでした」
「俺、三島さんのこと今日でますます気に入っちゃった。だからさ、これから色々とよろしくお願いします」
心地のよい夜風に吹かれながらほろ酔い気分の最寄り駅までの帰り道。
笠原がまるで会社での最初の自己紹介かのように丁寧に頭をさげてきたので、葵も思わず「こちらこそよろしくお願いします」と応えてしまった。
すると、顔をあげた笠原は時折見せる悪戯っぽい笑顔でなくて、にこやかに笑っていた。
葵は思った。きっとこの笑顔が笠原の素なのだろう、と。
しばらく恋という甘いエキス摂取がご無沙汰だった葵の心にほんの少し。スポイトで数滴垂らしたかのような潤いが与えられた。
恋心の扉はまだ閉められている。
だけど、甘い隙間風がそこに入りたくて扉の前をぴゅうっと吹いているのを葵自身はまだ気づいていなかった。