作:カメ美(@midogame

笠原は葵と同じ仕事をするので当然デスクは隣同士である。

パソコンの電源を入れ、荷物を整理し始める笠原に葵は問いかける。

「笠原さんはこっち引っ越されるんですか?」

ここは都心からは電車で二時間と少しの地方都市。通勤で毎日通うのは少々不便な場所でもある。

「そうなんです、一昨日越してきたばかりでアパートの中が段ボール箱で埋め尽くされてますよ」

「それじゃ落ち着くまで大変ですね」

こんな世間話をしながらも葵は手を休めず、笠原に資料を渡す。

「これ、仕事の概要と業務のスケジュールをまとめた資料です。とりあえず一通り目を通していただいてもいいですか?」
葵は笠原が資料を読んでいる間にたまったメールの返信をカタカタと急いで打ち始める。

聞けば笠原は既に今までにも出向経験があり、ここで三ヶ所目だという。
何社も渡り歩いてきた笠原は葵よりも断然経験も豊富なので、恐らく慣れてしまえば仕事も難なくこなすであろう。

むしろ一日でも早く共に動ける戦力が欲しい葵はそう熱望している。

ちょうどメールの返信も切りがよくなったところに笠原が口を開く。

「この資料、三島さんが作ったんですよね?」

「そうですけど…。もしかして細かすぎて分かりづらかったですか?」

「いえ、その逆です。凄く分かりやすいです。業務の流れもこれだけ書いてあるとイメージも作りやすいですし、助かります」

穏やかに笑う笠原の表情を見て葵は思った。そうだ、このいつもニコニコとした笑みが笠原につい色々と話したくなってしまった理由なのだと。

まだ赴任してきてたった数時間だが、笠原を見ているとずっと自然に笑みを浮かべていた。
新しい職場で緊張はあるとは思うが、硬い雰囲気はなくむしろ穏やかな表情はとっつきやすい印象に思えた。

そして葵は思う。「この人、ニコニコしていて可愛いかも…」と。

でも胸の奥がキュンと音を立てそうになったのを葵は気づかなかった。
むしろそれよりも自分の作った資料を分かりやすいと褒められた喜びが勝っていたのだ。

やはり笠原は頭の回転が速い。仕事も慣れれば難なくこなしてくれるはず。葵はあれこれ教えている中で確信した。

笠原は葵と二人三脚な仕事がメインだが、いずれは他の業務諸々も携わってもらう予定だ。
だが、赴任したばかり。会社と仕事に慣れるまでは葵がつきっきり。

デスクも隣でずっと張り付き状態では当然たまには息抜きをしたくなる。
その時間が昼休み。

葵はお弁当を持参したりコンビニで買ったパンなどを社内の会議室で食べるのが定番だ。
そこには他の女性社員達も集まりちょっとした女子会だ。
笠原はというと、毎日男性社員達に連れられ近くの店に出かけている。

「ねぇ、新しく来た笠原さんって感じいいよね。いつもニコニコしてるしさ」
「三島さんいいなぁ。あんな人と一緒に仕事が出来て」

会議室は女性社員ばかり。女子会なトークに葵はまるで他人事のように黙々とおにぎりをかじっていた。

「三島さん、いま彼氏いないんでしょ?この際、笠原さんのこと狙ってみれば?」
「だって会社でそういうの面倒だし、まずはその前にきちんと仕事を教えなくちゃ」
「本当に三島さんは真面目だよね。でもさ、せっかくイケメンと一緒に仕事してるんだし、女子力あげていかなきゃ。たまにはスカートも履きなよ」

28歳独身、彼氏なし。友人の紹介もめっきり減ったし、たまの合コンも不発。
通勤着はいつもパンツスタイルのシンプルな格好。
女子力の高いOLさん的なきれいめな格好とは程遠い。
それに会社は仕事をする場所だ、と割り切っているのだ。
しかも男性には媚びない、物事は割りとはっきりと言ってしまう。
そんな葵なので、同年代のいわゆるイケメン男子が来たところで自分のスタイルは変わらない。
ニコニコと笑みを絶やさない、あの笑顔は可愛いとは思ったけれどただそれだけ。

「でもさ、飲みに誘いたいよね。色々話してみたいし」
キャッキャと騒ぐ女性社員達の会話を聞いて、葵は心の中がむずむずとしていた。
実は葵は笠原を「歓迎会」という名目の飲みに誘おうと思っているのだ。
部内の歓迎会が金曜日。それよりも前に一緒に仕事をする自分がまずは歓迎しないと。
葵は今まで後輩社員が入社したら必ず飲みに誘ってきた。
それは歓迎する意味合いもあるが、コミュニケーションの一環として慣れない環境の少しでも緊張をほぐしてリラックスしてもらうのが目的だ。
でも今までの後輩達は皆女性だったけれど、今回は男性。しかも年上。
二人で飲みに行ったらまるでデート。そんなこんなでもやもやしていた葵だが、自分の中の儀式は譲れない。

昼休みを終えてデスクに戻ってきた笠原に声を掛けた。
「笠原さん。今日の夜、お時間ありますか?」

夜の7時過ぎ。今日は仕事を早く切り上げた葵は笠原と会社から少し離れた居酒屋を訪れていた。
半個室で一応格子戸はついているものの、周囲の声はだだ漏れで騒がしい。
生ビールを注文し、早速乾杯する二人。

「お疲れ様です。改めてこれからよろしくお願いします」

葵の言葉に笠原はいつものようにニコニコと笑みを浮かべて「こちらこそよろしくお願いします」と返事をした。

気がつけば笠原はジョッキの半分くらいを喉に流し込んでいる。葵はというと実はビールが苦手なので口をつけた程度。

「今日は誘ってくれてありがとうございました。こうして歓迎会を開いてくれるなんて嬉しいです」
「金曜日に部内の歓迎会はありますけど、それよりも前に私個人としてやっておきたかったんです。

一緒にお仕事するわけですし。それに私は後輩が入ってきたら必ず一度はこうして飲みに行くのが定番で。

でも笠原さんは年上だからどうしようかな、とも思ったんですけど…」
「こうやって気遣ってくれるのは凄く有難いことですよ。三島さんは優しいんですね」
アルコールを摂取したからか、笠原の頬はほんのり赤い。それでいてニコニコと柔らかい笑顔。
一瞬、葵は思わずドキリとしてしまった。

こんな風に同年代の男性に優しいだなんて言われることなんてなかなかないからだ。
会社にいるおじ様達に言われるのと訳が違う。
「私が入社した時にこうして先輩社員の方に飲みに連れて行ってもらったんです。
慣れない環境で緊張してるのを少しでも和らげようと気を使ってくれたのが凄く嬉しくて。だから私もそんな先輩になりたいな、と思ったんです」
「ほら、やっぱり三島さんは優しい人だ」
柔らかい笑みを浮かべながら真っ直ぐに見つめてくる笠原の視線が気恥ずかしくて、葵は苦手なはずのビールに口をつけた。

「研修で会った時とは印象は違いますね。あの時はただ率直に可愛らしいな、って思ってましたけど」
「えっ…っ?」
突然この人は何を言い出すのだろう。思わず眉をしかめて笠原を警戒してしまう。
そんな葵の感情を読み取ったのか、笠原は悪戯っ子のように笑う。
「年上ばっかりの中で、しかも女性は一人だけだったでしょう?何だか大きな動物の中に
迷い込んじゃった小動物みたいで。それに意見を言う時も一生懸命で何だか放っておけない、というか。
そんな三島さんが可愛らしかったから思わず休憩にランチに誘っちゃったんですよね、僕」
本当にこの人はいったい何を言っているのだろう。何やら色恋の香りがほんのり漂うような発言ではないか?
突然飛び出した口説きにも似た言葉にただ葵は唖然としている。

「いざランチに行ってみたら、男の僕でも厳しいボリュームたっぷりのカツ丼をぺろりと平らげるし、味噌汁までおかわりするし。

何だか面白い子だなぁって。それに、実際にこうして同じ職場になって、まだ三日目ですけどね。
三島さんが優しくて面倒見がよい人なんだなって思いました。僕が年上だから気を使うはずなのに、きちんと色々教えてくれるし」

「あの…、笠原さん…?」

明らかに動揺する葵のことはお構いなしに笠原は言葉を続ける。

「だからこうして偶然にも三島さんと同じ職場になれたことが嬉しかったんです」
やたらと喉が渇く。これは緊張しているのだろうか。

葵は思わず再び苦手なビールを喉に流し込んだが、普段は不得意なはずの味だが今は全くそんな気がしない。むしろ味がないようにも思える。

「この偶然って必然だったって少し自惚れたりして…、ね。」
この先、この人はいったい何を言い出すのだろう。葵は期待よりも怖い、そう身構えしてしまった。

「ねぇ。三島さんのこと口説きたいって言ったら怒ります…?」