咲羅まめ(@nononn119

廊下を駆け抜けてきた勢いのままにならないよう、息を整えながらゆっくりとドアを開ける。ガラガラガラという音をたてるのは仕方のないことなのだが、やはり図書室ということもあってか少し罪悪感を感じてしまう。その罪悪感を振りはらうように首を振りながら待ち合わせている先輩を探した。


(……いた。)


案外すぐに先輩は見つかった。
窓際の、入口からは一番離れているところ。
なるべく音をたてないように近づく。先輩は机に伏せていてよく顔が見えない。



「すいません先輩、遅くなって……って、」



図書室という空間を配慮した小さめな声で話しかけはしたけれど、それにしたって先輩の反応が薄すぎる。どうしたのか?と少し覗くようにして見れば。


(寝て、る?)


覗きこんでも、反応はない。
先輩は微かな寝息をたて、いつもとは違うあどけない表情で眠っているらしかった。さながら白雪姫のようだ。

呼吸に合わせて小さく上下する肩。少し見える透き通る程白い肌。緩やかに流れている黒い髪。白雪姫という表現は、あながち間違っていないはずだ。周りに花でも置きたい気分になる。

……じゃあ王子は俺かなとそこまで考えたところで恥ずかしくなったからやめた。いくらなんでポエミーすぎる。
白雪姫の目覚めさせ方を思い出したわけではない。断じて違う!

……それはそれとして。
一体どうやって先輩を起こしたらいいんだ?というとり、そもそも起こすのか?

閉館時間はまだ少し先のことだからギリギリまで寝かせておくというのもできるのだけど、もう外は暗いし、はやく家に送ってあげたいとも思う。

ちらりと腕時計を見れば、まあ一般的に遅いと呼ばれる時間。やっぱり女の人を遅く帰らせるわけにはいかないだろう。

いったいどうしたものか、と先輩の寝顔をふたたび見つめる。先輩はいまだにすやすやと眠っていて、その周りだけ時が止まったようだ。カーテンの隙間から大分弱くなった太陽の光が差し込んで先輩とついでに俺を照らしている。

ごくり、という自分の喉の音がやけに大きく聞こえた。

……だってこんなの、なんていうか、反則だろ。こんな風に無防備に寝顔を晒しているなんて。

寝顔なんて滅多に見れるもんじゃないし、しかもこんなにかわいいんだ。全身から愛しさがこみ上げてきて、身体が強ばる。ああ、きっといまは眉間に皺がよっているだろう。
情けない顔だ、先輩が寝ててよかった。……寝てる、んだよな?と少しだけ不安になる。
何かと俺をからかってくる先輩のことだ。実は起きてました、って言われたっておかしくない。それで「何でじろじろ見てたの?」なんて言われたら……、考えただけで泣きたくなる。その時はたぶん恥ずかしさで死ねるだろう。


(これは、ただの確認だから。確認。)


そう言い聞かせて、先輩の肩に手を伸ばす。別にやましいことはしていないのに、そうでもしないと心臓が破裂してしまいそうだった。

軽く、ごく軽く触れる。すぐに引っ込めて、もう一度。今度は少し力をいれて。
それでも先輩は何ひとつ動かない。これは本格的に寝ているんだろう。というか、じゃなきゃ困る。
何度も言うようだが、これで起きていたら後でからかわれることは確定なんだ。
それは遠慮したい。俺だって男だからな。それに、まだもう少し、先輩を眺めていたい。先輩の傍にいたいんだ。


……なんて、ただのキレイゴトか、と溜息をついた。

眺める?そんなんじゃ足りない。
傍にいるだけじゃダメだ。一番近くがいい。

先輩を、全部俺のものにしたい。


肩に置いていた手を動かして、先輩の髪の毛に指を通す。


(うわあ、さらさらじゃん……。)


でも柔らかくて、気持ちいい。
今度は撫でるように手を滑らせると、さっきとはまた違ってなめらか、といった感じ。
しかも動かす度に甘い香りが漂ってくる。ああ、これが先輩の使ってるシャンプーの香りなのか。なんて幸せな気持ちにさせるんだろう。

そうやって何度か先輩の髪の上をいったりきたりしていると、少し髪が零れ落ちて顔のほうにかかってしまった。これじゃあ先輩の顔が見えない、と髪をよけようとしたとき。



「、ん……」

「っ!?」



先輩が軽く身じろぐ。思わず手を離して、ようやく気づく。


(やっべ……俺いま、完全に無意識だった……!)


身体が熱くなるのがわかった。口元を手で覆い、落ち着け、と言い聞かせる。
いいや、落ち着いてなんていられない。なにしてたんだよ!シャンプーの香り……とか、変態か!!

これはやってしまった感が否めない。というか、やってしまった。本当なにしてたんだよ。恥ずかしいとか思わなかったのか?……現在進行形で思ってるよ。その証拠に、心臓がありえない速度で音をたてている。

あーもう、ちょっと待ってくれ。落ち着かせてくれ。考えてみろ、俺は先輩のか、か、彼氏、だろ?頭を撫でるぐらい普通じゃないか。そうだ。何も悪いことはしていない。ただ、少し撫でただけ。先輩の髪を。……、先輩の髪の毛柔らかかったな。

手をおろして、また先輩を見つめなおした。髪が、顔にかかったままだ。そっと指で耳にかける。ようやくはっきりと見えた先輩の瞳はまだ閉じたままで、よく眠っているようだ。そんなに疲れていたのだろうか。疲れていたんだろう、何かと忙しい人だから。


(これは、お疲れ様ですの意味だ。)


彼女を労るぐらい普通、普通、ということにしてその白い肌に触れた。まるで、"柔らかい"を体現したかのようだった。親指で軽く押しているだけなのに、どこまででもし沈みこんでいってしまいそうで、思わず手を引っ込める。なんとなく、なんとなくだけどこの触り方だといけない気がした。
次はちゃんと調節の利きやすいように人差し指で。つついて、少しくるくるなぞってから、またつつく。



「……もちだな」



思わず口に出た言葉はそんなのだった。
いくらなんでもそれはないか、と自分自身に苦笑する。でもその通りだったんだから仕方ない。人差し指を離してふたたび親指。でもさっきとは違って肌を撫ぜるように、そっと。ああ、なんてなめらかなんだ。いつまでもこうしていられる自信がある。
ここにきてようやく緊張がとけたんじゃないだろうか。小さく息をつくと、先輩を撫でる手をとめた。

……そして、ゆっくりと自分の顔を先輩に近づける。
近づくほどに当たり前だが先輩の息づかいもリアルになっていって、こんなこと言ったらあれだけどものすごく興奮した。しょうがない、俺も男だ。


本当は、寝てる先輩を見たときから。視界に、柔らかそうで、赤くて、かわいらしいその唇がうつりこむ度に思ってたんだ。


───白雪姫の、目覚めさせ方。



はじめてじゃない。でも緊張はいつだってする。それに今は先輩も寝ている状況だ。
なのに、やめようとは思わなかった。この人の少ない図書室という特別な空間のせいもあってか、俺にはできる気がしたんだ。


カーテンの向こうの太陽は、とっくに落ちていた。








***




「ねえ、結人?」

「なっなんですか、先輩」



先輩も起きて、俺たちは帰り道をふたり手をつないで歩いていた。周囲にはもう街灯がついていて、遅くなっちゃったなあ、と申し訳なくなる。

すると先輩が身を屈めるように言うから、その通りにする。俺の耳に先輩の手が添えられ、なんの話をされるのかと思えば。



「……キスぐらい、ちゃんとやってよ。」

「………………え」

「私だってね、撫でられるだけじゃ物足りないんだよ?」



言い終わると、拗ねたような、それでいておもしろがっているような楽しそうな顔を浮かべる先輩。
いや、……え?どういうっていうか、なんの話だ?心当たりは恐ろしいほどあるけど、でもその時は先輩は寝てたんじゃ……?



「あの、それは……い、いつの話ですか?」



恐る恐る切り出す。嫌な汗がとまんねえ。
頼む。どうか、以前のいつかの話であってくれ。
けれども、その願いも虚しく、先輩はにこりと微笑んで「……さっき」と言った。やっぱり先輩はかわいいなあとか場違いなことを考えていたのがダメだったんだろう。理解するのに時間がかかった。



「起きてた、って言ったら……怒る?」



ああ、俺は、この人にはかなわない。